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禁じ手

短いお話を書くうえで、「意外な結末」というのは重要な要素だが、これはあまり使わないほうがいいという「禁じ手」のようなものがいくつかある。代表的なのをあげてみると、「夢オチ」などはそうだ。いろんなことが起こって、結局夢でした、というやつである。さすがにこれはやらないが、「禁じ手」というのは一見、意外性がありそうに見えるので、結末に苦しんでいるときなど、使ってしまうことがある。ぴったりはまったりするのだ。そういうのは人に見せると恥ずかしいので封印してしまうが、これだけ前ふりで言い訳しておけばいいだろう。ということで、「禁じ手」オチのお話を一つ。

転載のため掲載を中止しました

実は幽霊でした、という「禁じ手」である。古今東西の名作の中に、この幽霊オチというのはいくつもある。それらは、このオチが実に合理的に、あるいは的確に使われていて、全体を通して優れたものになっている。したがって、「禁じ手」が悪いのではなく、それに寄りかかろうという姿勢がよくないと言いなおしておく必要がありそうだ。もちろん、上記のお話は、幽霊オチに全面的に寄りかかってしまったものだ。「禁じ手」を使いながらいいお話を書こうとするのは、すごくハードルが高いということなのだが、たまに忘れてしまって、こんなお話ができるのである。




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コメント 2

okuma

眉村さんの「公子」(『時のオデュセウス』『枯れた時間』所収)もそれですね。イタリアに旅行した主人公が雇ったガイドは現地在住の日本人女子。なんやかやあって帰国したいと言うので一緒に帰途の飛行機に乗り込むが……
by okuma (2017-06-06 18:16) 

深田亨

「禁じ手」を「ジャンル」と言い換えるといいかもしれませんね。
「実は幽霊だった」ジャンル。
「実は夢だった」ジャンル。
「実は未来人だった」というのなどは、タイムトラベルテーマのサブジャンルとして成立しているような気もします。
「実は役所広司だった」というマルちゃん正麺のCMも、……違うか。
by 深田亨 (2017-06-07 00:56) 

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